この記事では、FRONTIAのLisa(リサ)が歴史上の偉人やアニメのキャラクターが「もしも〜だったら」というちょっとブラックなifストーリーをお届けします。ぜひご覧ください。
[if]ストーリー
天正10年、京都・本能寺。
明智光秀の急襲により織田信長が討たれた…。
だが、もし信長が奇跡的に命を取りとめていたら?
あの慎重な戦国武将・徳川家康は、いかなる策をもってその時代を生き抜いたのか。
伊賀越えは中止、代わりに「尾張で静養」
史実では、本能寺の変の報を受けた家康は命がけの「伊賀越え」で浜松に帰還したが、信長生存の世界ではその必要なし。
それどころか、信長から「そなたもお疲れであろう。しばし休め」と言われ、尾張でのんびり温泉へ。
戦国時代なのに“癒し旅”に出てしまう家康。
随行の本多忠勝も「主君がリラックスしすぎておる…」と苦笑い。
※その旅先で「八丁味噌」なる不思議な調味料に出会い、後年の城下町名物となる。
「忍耐と外交の使者」路線へシフト
信長が生きているとなれば、自ら天下を狙うのはご法度。
そこで家康は、“戦わずして天下を動かす”外交の達人に方向転換する。
豊臣秀吉や柴田勝家らの動きを見極めながら、「うむ、今は動くときにあらず」と語り、あえて派手な戦は避ける。
一方、諸国大名の娘と息子の縁談を勝手に調整し、「家康を通せば事がまとまる」と評判に。
本人いわく「人をつなぐのも戦国の道ぞ」。
信長との我慢くらべが始まる
信長は変わらず豪快な性格。
「この鉄甲船はどうじゃ!」「南蛮時計を見よ!」と毎度のように新発明を見せつけてくる。
家康はといえば「はあ、素晴らしいことでございます」と控えめに返しつつ、その背後で「殿の情熱は止まるところを知らぬ…」と感服しつつも、静かに湯呑みを傾ける家康の姿があった。
やがて信長の「一緒にスペイン攻めようぜ!」という謎提案にまで巻き込まれかけ、家康は静かに仏像の前で祈ることが日課となる。
この頃から「我慢こそ力なり」が口癖に。
“信長の次”をじっと待ち、将軍職へ
長年の信長政権の安定運営に尽力した家康は、やがて信長の老境にさしかかったころ、そっと囁かれるようになる。
「次の政(まつりごと)は、家康公が担うべきでは…?」
秀吉はまだ野戦向き、柴田は気性が荒い。
家康の「調整力・安定感・マイルドさ」が、今こそ必要とされたのだ。
結果、信長は自ら退いた形で家康に将軍職を委ねるという奇跡の世代交代が成立。
信長は「ようやく昼寝ができるわい」と満足げに笑ったという。
結末:「戦わぬ将軍」誕生
信長が生きていれば、家康はあえて覇道を選ばなかった。
だがその姿勢こそが信頼を呼び、天下を預けられる器と認められたのだ。
家康は後にこう語った。
「我、耐えに耐え、ついに泰(やす)らぎを築かん」
信長もそれを聞いて、「そなた、結局ワシより上手くやったのう」と一言。

信長の剛と家康の柔、
どっちが勝ちかじゃない。
だから面白い





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